外国人修行僧が日本で仏教を学ぶ理由。とても純粋で真摯な姿。

お寺のこと
僕の撮ったお気に入りの写真。アメリカ人のお坊さんです。

外国人修行僧との出会い

皆さんは日本各地にある仏教の修行道場に、日本人だけでなく多くの外国人の修行僧がおられることをご存知でしょうか。お寺という文化はアメリカやヨーロッパにも存在し、多くのお坊さんが海外でも活躍されています。

さて、僕も修行をしていましたが、僕が修行をしていたお寺は外国人修行僧を幅広く受け入れていることで有名なところでした。僕は英語を勉強することが高校生の頃から好きで、大学でも英語教育を専攻していました。大学3年の時には1年間、オーストラリアでワーキングホリデーを活用した語学留学もしており、大学卒業後も何かの形で英語に触れていたいなぁと思っていました。

そんなとき、僕の師匠(父)から外国人のお坊さんが多くおられる修行道場があることを教えてもらったのです

美しい心、真摯に修行に打ち込む姿

僕は生まれてから日本人のお坊さんと関わる機会は多くありましたが、外国のお坊さんの事情に関しては全くの無知でした。当然、修行に向かう時も「一体どのくらいの、そしてどのような人が修行しておられるのだろうか」とある種のワクワクを覚えていました。修行の厳しさに対する不安を上回っていたように思えます。笑

そのお寺には、多い時には修行僧全体の約半分にあたる15人程度の外国人修行僧がおられました。出身国もフランス・スペイン・アメリカ・ブラジル・ドイツ・アルゼンチンなど、覚えているだけでも様々です。公用語はもちろん英語で、大学卒業後も英語環境を求めていた僕には願ったり叶ったりの環境であったと言えるでしょう。初めて彼らの修行に対する姿勢を目の当たりにした時、僕は感動を覚えました。本当に熱心に修行して己と向き合い、とても丁寧に生活を送り、その修行生活からは「禅の心」が溢れているように見えたのです。

日本人の修行僧の中には、自分がお寺の子どもだからという理由でお寺を継ぐことを決意し、その資格を得るために修行する方も少なくないでしょう。しかし、外国の方ではそういった背景を持っている方は多くはなく、出家の理由を尋ねても正直日本人の僕とは比べものにならないくらい大きな答えが返ってきます。

僕がお坊さんになろうとした理由などはこちらの記事をご覧ください→ https://solog0606.com/47/

あるアメリカ人の修行僧はこう言っておられました。

「世界には今、自分のいる地球の反対側の国にもたくさんの人が存在している。今自分たちは笑顔で話をしているが、その反対側の世界では戦争でたくさんの人の命が奪われている。泣いている。苦しんでいる。これを解決するために出家し、修行をしている。」

他にも人それぞれの出家の理由がありましたが、この返しを聞いた時の僕は「仏さまそのものなのでは!?」と単純にも衝撃を受けたのです。

外国人修行僧の食との向き合い方

共に修行生活を送る中で、特に僕が驚いたのが食に対する姿勢です。

まず、日本食をとても上手に作る外国人修行僧が多かったのが最初の驚きでした。僕は一人暮らしの時に自炊をよくしていましたが、30人近くの修行僧のご飯を作ることができる自信は当初は全くありませんでした。そんな心境の僕が、彼らの料理を手際良く行う姿は印象的に写ったのです。

そして、食材に対しての感謝の心、食材を無駄なく使って料理をすることの大切さを教わりました。僕は恥ずかしながら、一人暮らしで自炊をしていた頃は料理に使わない部分は生ゴミに出すことも多かったし、無駄にする量も振り返ればそれなりの量になってしまってたなぁと反省しています。しかし、基本的に修行中はできるだけ食材全ての部分を使って料理し、どうしても食べられない部分もコンポスト(畑の肥料を作るもの)に活用するなど無駄がない生活でした。


まとめ

あまり文字量が多いと読む気が失せると思いましたので、もっと書きたいことがまとまれば別のブログに綴りたいと思います。外国人修行僧の姿を見て、僕はよりいっそう仏教と向き合いたいと決心して、今は都内で仏教の勉強や実習を行ったりしています。

彼らは僕が最初は面倒だなぁと感じていた細かい作法も、毎回ひとつひとつ丁寧に行うことで修行と向き合っています。その姿勢に感化される日々でした。「無駄なことなど何もない」、これは食に対してだけではなく、修行の全てに当てはまります。普段忘れがちな、乱雑に何事も行うのではなく丁寧に行うことを、改めて意識してみてはどうでしょう。

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