さて、僧ログのホームから僕のプロフィールを読んでくださった方はご存知かもしれませんが、僕はお寺に生まれ育ったお坊さん(正確にはまだ弟子)です。
皆さんはお寺というのは世襲制(代々その家族が継いでいくもの)だと考えていますか?本来のお寺はそういうものではなく、住職を必要としているお寺があればそこへ新しいお坊さんがやってくるという形でしょう。しかし、現代に置いてお坊さんになろうという人は昔と比べると少なくなっており、自然と世襲制のようになっているお寺が多いと思います。
宗教離れが段々と叫ばれるようになって、お寺に生まれた子どもでも違う職業になるといってお寺を継がないという人はそれなりにいます。最初は嫌々で修行に行ったよ〜なんて話を耳にすることは少なくありません。
でも、僕は小さい頃からお寺を継ぎたいなぁと思って生きてきました。恐らく少数派でしょう。なぜそのような思いになったのか、気になった方は読んでいってください。笑
お寺を継ぎたいと思う理由、それは「人の集まる場所としてのお寺を守り続けたい」から。
僕は小さい頃から、何かの行事の度にお寺である我が家に大勢の人が来てくれることが嬉しくて仕方ありませんでした。大人の方も当然ですが、子どもとしては何より、年齢の近い友達が来てくれることで楽しい時間を過ごすことができたのです。僕のお寺の例を挙げると、
- 桜まつり
- お月見会
- 夏の坐禅会
- 除夜の鐘 etc…
こういったイベントが僕の楽しみでした。自然と僕の中で、お寺というのは色々な方が気軽に足を運んでくださる場所という認識が出来ていったのだと思います。
そして、何より僕は色々な方とお話をすることが大好きです。その人のことを知れば知るほどに関わりは濃ゆいものとなりますし、そういった繋がり一つ一つが僕の人生を形成していきます。その繋がりを作ることができる場所、それがお寺であると思うのです。
こういった行事などは地域の過疎化の問題に直面していくのですが、、、。
また、お寺の香りというのも子どもながら味わっていました。笑
線香の香り、皆さんは好きですか?あんまり煙たいとしんどいかもしれませんね。しかし、僕にとって線香は昔から今まで変わらず一番好きな香りです。別に日常生活で線香の煙を浴びてるわけではないにも関わらず、学生時代は「お香の匂いがしていいね」と友達に言われるくらい、僕とは切り離せない存在だったと言えるでしょう。
こういった環境でずーーーっといますと、そこから離れることがとても悲しくなってしまうんです。生涯、線香に囲まれて暮らしていたい。こんな嗅覚的背景もあって、自然とお坊さんを志していったのではないかと思っています。
しかし、現代においてお寺で生活していくことは簡単ではありません。無論、これには都会と田舎で大きな差がありますが、僕のお寺は田舎にありますので問題は待ち構えています。それが「地域の過疎化」です。
その問題点や僕の考える打開策などは、また別のブログに綴ろうと思います。でも、どうしてもお寺を存続させていきたいのです。その強い思いが無ければ、僕も教員を目指して教員採用試験を受けていたことでしょう。
僕のお寺には今でも、さまざまな悩みを抱えた学生さんなどが、僕の師匠(父)を訪ねてお寺にやって来ます。坐禅会を体験してみたいと社会人の方から幼稚園児の子どもまで幅広く来られます。それもこれも住職が日頃から、色々なところで関係を広げて、多くの方に寄り添っているからだと僕は思います。
こうやってお寺を訪れてくださる方、お寺を必要としてくださる方は、未来にも必ずおられるはず。そういった方が気軽に足を運べる場所を僕はお坊さんとして、守っていきたいと本気で思っています。
まとめ
子どもの頃にお坊さんになりたいと思っていた理由と、今心の中にある理由。両者を比べると違いはあるが、共通して言えるのは「お寺が大好き」であることです。金儲けのことしか頭にないとか言われることもあるお坊さんという職業。都会ならともかく田舎では本当に生活が苦しいお寺が多いのも事実です。そんな中でも、若者がお坊さんになろうと必死に修行しております。そんな人のことも知っていただけたら幸いです。
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