承認欲求、持ちすぎてない?道元禅師の「愛名」の教え

日常のこと

誰のためにすることなのか

こちらの写真をInstagramに投稿しました。

先日、私のお寺のInstagramアカウントで上の写真を投稿しました。

すると500を超える「いいね」をいただきました。思わずニヤリとしてしまったのですが、皆様もそんな体験はありますか?近年はオンライン上の人付き合いやSNSの普及が進み、もうスマホやSNSは無くてはならない存在だと思われるかもしれません。そのSNSの代表的なものとして、Instagramが思い浮かぶのです。

もう、Instagramは写真を載せるだけの場ではない

 Instagramは今や綺麗な写真を載せるだけでなく、様々なライフハックを発信する場となっています。ある女性は日常生活の中で実践できる「節約術」を投稿していたそうですが、「いいね」などの反応が少なくて悩んでいました。

そんなある日、よりたくさんの人から反応をもらうために、注目を集めそうな「夫の給与明細」の写真を投稿したそうです。すると、今までと比べ物にならない数の人が「いいね」で反応してくれて、その女性はルンルン。しかし、夫の勤める会社の人が、その投稿を見つけてしまいます。「うちの会社の給与明細が晒されている」と大問題になり、夫はみんなから非難されることになってしまいました。

曹洞宗の大本山、永平寺を開かれた道元禅師の教えに、このような言葉があります。

「愛名は犯禁よりもあし」

私たちにも分かりやすいように言い換えると「名誉に執われることがあってはならない」という意味になります。

私たちの多くはなるべく他人から良く見られたいと願い、そのために名誉や他人からの評価を求めていませんか?道元禅師はそのようにして名誉を得よう執着すると、本来大切にしなければならないことを見失うと言われました。

教育実習で感じた道元禅師の教え

私は大学生の頃、教育学部に在籍して勉強をしていました。大学2年生になった私は、中学校へ初めての教育実習に行くことになったのです。

この教育実習で、私は大学の教授や現役の教師の方々から「授業が上手い学生だな」と認められるために必死でした。名誉といえば大袈裟かもしれませんが、授業が上手いと認められれば良い成績をもらえるし、同じ教育実習生からもすごい!と尊敬されます。当時の私は教育実習生として、名誉を求めていたのです。

では、上手い授業とはどういうものなのでしょうか。私は授業を時間内に収めて教科書の内容をきっちり教え切ることだと思っていたので、授業中に話す内容や進行の仕方を文字に起こして入念に準備しました。事前に実習生同士で授業の練習をしたのですが、その実習生からも「1回目からこんなにできるのすごくない?」と言われ、見事に調子に乗る私。自信満々に私の人生初の授業を中学生に向けて行いました。その結果、私は大きなショックを受けることになったのです。

「思ったのと違う」生徒の反応、私の感想

私の初めての授業は淡々と進み、特に問題なく終わったように思えました。しかし、その私の授業を受けた中学3年生の生徒の一人が、休み時間にこう言ってきたのです。

「吉長先生の授業、全然おもんない」

その瞬間にドキッとしたのを今でも覚えています。私は教師としてではなく、誰かからすごいと思われたい一人の大学生として授業していたことを、中学生にさえも見抜かれていたのです。自分の小さな名誉・認められたいという欲求に執着していた私は、今目の前にいる生徒のことを思い、生徒が面白いと感じてくれるような授業ができていませんでした。

それから私はクラスの雰囲気や生徒たちのことをよく知ろうと努めました。休み時間にたくさん話したり遊んだりして、一人一人の性格や流行りのものなどを知っていきました。そういった要素を授業に取り入れてみると、授業も分かりやすくなるし生徒も興味を持ちやすくなると気付いたのです。

数日して、私は「吉長先生の授業おもんない」と言っていた生徒のいるクラスで再び授業をすることになりました。前回とは違い、今回は自分自身を最優先に考えている大学生としてではなく、目の前の生徒たちと向き合っている一人の教師として臨みました。その授業が終わり、今度はこのように生徒から声をかけられたのです。「今日の授業はおもろかったで!」

承認欲求に溢れる、この時代だからこそ

現代はオンラインでの付き合いやSNSでの繋がりもどんどん増えています。もうSNSがないと生きていけない!そんな人も少なくないのでは。

その中で見受けられるのは多くの人に見てもらいたい・認められたいという「承認欲求」です。SNSのフォロワー数やいいねの数が多いことは一種の名誉だと思います。

しかし、より多くのフォロワーやいいねを得るために、ときには過激な投稿をして誰かを傷つけ非難を浴びることもあるのです。冒頭のInstagramに給与明細を載せてしまった方も、最初は多くの人々のためになるようにライフハックを発信しようという気持ちだったと思います。それが次第に自分のフォロワー数やいいねの数を増やすためになってしまった結果、人に迷惑をかけてしまったのではないでしょうか。私の授業も同様に、生徒のために行わなければならない授業を自分の名誉のために行ってしまいました。そういった名誉に強く執われてしまうと道を誤ることがあるのです。


まとめ

タイムリーなところで言えば、某お寿司チェーン店を発端に広がった迷惑行為を動画サイトにアップするもの。あれだって、どのような手段を使っても注目を浴びたい、大勢の人に見てほしい、そんな承認欲求「愛名」の心からのことでしょう。

最近になっても私は、「あ、今自分のことだけ考えて行動してしまっている」と気づくことがあります。その度に、「誰のためなのか」を再確認するようにしています。

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