今に意味があるのか悩むあなたに響く禅語とは

日常のこと

ムダなことは人生に1つもない

私は昔から、「今していること、学んでいることが将来役に立つのかな」とか「この決断をしたら、今までやってきたことがムダになるのでは」と考えてしまうことがあります。そのように悩み、苦しんでいた時に、私が救われた禅語を紹介します。よろしければお読みください。

直心是道場じきしんこれどうじょう

維摩経(ゆいまきょう)』というお経にこのような教えが説かれています。光厳童子(こうごんどうじ)という若い僧侶が静かな修行道場を探していました。あるとき維摩居士(ゆいまこじ)という方に出会い、どこから来たのかと尋ねます。維摩居士は「道場から来た」と答えます。次にその道場はどこにあるのかと尋ねると、維摩居士はすぐにこう答えました。

「直心是道場」

修行に適した静かな道場を探している光厳童子に対して、維摩居士は「素直な心があれば、今いる場所が道場になる」と言ったのです。

ムダかもしれないと悩んだ大学時代

私は高校生の頃から実家のお寺を継ぎたいと思っていたものの、大学では仏教以外のことを勉強しようかなと曖昧(あいまい)に進路を考えていました。進路選択に悩んだ結果、私は教育学部に進学して、英語の教師になるための勉強をしていたのです。

ところが、教師になりたいという強い気持ちはなく、ダラダラと大学の講義を受ける日々でした。大学で勉強していることが自分のためになるのかと悩んでいた私は、周囲の人たちにも相談に乗ってもらっていました。

あるお坊さんからいただいた禅語

私が地元に帰省していたある日のこと、実家のお寺に知り合いのお坊さんが訪ねてきました。私はそのお坊さんに対して、自分の進路選択が正しかったのかと相談しました。そのときにお坊さんが「勉強することがない、ということではないよね」と言って、直心是道場という禅語を私に教えてくださいました。私はその教えを聞いたとき、モヤモヤとしていた心の中に光が差したように感じたのです。

当時の私は、あまり自分の関心のない教育学部という環境の中で、何のために英語や教育関係の勉強をしているのかと悩んでいました。将来使うのかも分からないことを勉強しても、何も得ることはないと考えていたからです。しかし、私は〝どこにいようとも、素直な心があれば学べることはいくらでもある〟という禅の教えに出会いました。そして、目の前のことを何でも学ぼうという素直な心で勉強できていなかった自分に気付かされました。心の持ち方次第で、自分が今いる場所がかけがえのない修行道場となるのです

教師にもお坊さんにも通ずる学び

例えば、人前で話すことが多い教師という職業は、お坊さんにも通ずるところがあります。分かりやすい話し方や伝え方は、お釈迦様(しゃかさま)の教えをお伝えする際も大切です。また、教師を目指す立場で多くの人たちと関わる中で、大切なことをたくさん学びました。さらに、英語を勉強すれば国際化が進む現代において、外国の方にも英語でお釈迦様の教えをお伝えすることもできるのです。


まとめ

このように心を入れ替えた私は、大学の勉強に意欲をもって取り組み、一年間の海外留学も決意しました。多くの経験をすることができた大学生活は、私にとっての大切な財産です。

一見すると繋がっていないように思えても、過去に自分がしてきたことで現在の自分はできていて、今していることが必ず次の自分の糧になっています。どのような境遇にいたとしても、ムダなことは1つだってありません。私は今置かれた環境の中で、素直な心を持って色々なことを学び続けます。

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